午後3時、お茶の時間。
「じいちゃん、何にする?」
「昆布茶でええわ。」
「で」って・・・。
「ばあちゃん、何にする?」
「わしゃ、コーヒーでええわ。」
またしても「で」って・・・。
なんで、「が」ではないのか❓
昆布茶がいい。
コーヒーがいい。
「で」だと、なんでもいいけど、まあ昆布茶でいいわって感じがする・・・。
「が」だと、もっとポジティブな感じ。昆布茶が欲しいってな感じ。
ヨメとしては「が」がいいのである。
何をちっちゃなことにこだわってる、ヨメ!(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
あっ‼️ もしかして、ヨメが感じてる「で」と「が」の使用感が世間一般からはズレてる可能性も・・・。
どうなのでしょう?
なんだか、つっかかりたい今日この頃なのである。
目の前の人を幸せに・・・って思うけど、
愛と思いやりが大切だと知っているけど、
ヨメって、やっぱ、疲れるわ〜。
そうだ‼️
何が飲みたいかなんて聞かずに出せば「ことばのストレス」から解放されるかも・・・である。
聞かずにお茶🍵を出してみたー。
ばあちゃん、バッサリ!
「お茶ばっかり飲めんの〜。」
ならば飲むなー💢
そうだ‼️
もう、放置しよう。
高齢者二人、なかなか自分から水分を取らないので気づかっていたが、馬鹿らしくなってきたー。
すると、
階下からヨメを呼ぶばあちゃんの声・・・。
「お茶にしょうや〜。」
Leave me alone〜😫
ああ、こうしてヨメの終わりの見えない闘い?は続くのである。
「頑張るな、ヨメ!」とヨメ、自分を励ましてみる。
時を同じくして、知人がメルマガで「言葉」について紹介していた。
そうか!
言葉は人なり・・・まだまだだな、ヨメは。
🎈「言葉の力」 大岡信 🎈
中学国語2(光村図書出版)より引用
人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。
しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。
ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとは限らない。
それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。
人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。
深い〜!