ヨメの前にフライパン🍳。
目玉焼きの白身が焦げてこびりついている。
お湯でふやかしてゴシゴシとこすってみる。
力を入れて・・・。
置いておくとばあちゃんに洗われて、ドヤ顔されるのが嫌なんだー。
あー、ヨメ、何と闘っているのか❗️
と、思いつつ、
日々、繰り返す。
ありゃあ〜。
テフロン加工のフライパン。
気がつけば傷だらけ〜。
テフロン効果は薄れつつ・・・。
これ以上、傷つけてはならぬと、「焦げ」は水か、お湯で十分浮かせてとることにした。
ばあちゃんには、「まだ洗いません。」とダメ出しをする。
「待て!」
最初からそうすればよかった。
きれいに「焦げ」は浮き上がり、フライパンも無傷の生還・・・。
ふと思う。
生徒もこれと同じであったか!🤭
彼らの悪いところを無理矢理ひっぺがしてキレイに磨いてやろうとしていなかったかしら?
キレイになっても深く傷つけていなかったか?
・・・傷つけたな。
ホント、ごめんなさい。
ゆ〜くり、はがれるのを待てばよかったな。
人の持つ可能性ってものを最近つくづく感じるのである。それは外から押し付けられたものではなく、内からグワ〜と湧いてくるような・・・。
そんな力を誰もが持っているんだ。
水の役割は時として必要かもしれないが、その力は確実に一人ひとりの中にある。
待つって結構な忍耐力がいるけど
まあ、コーヒー☕️でも飲みながら
のんびりやりましょうかねえ。