「部屋が新しくなったら、わしゃあ、自分の部屋で寝る。」発言を受けて、ばあちゃんが自分の部屋で過ごせるように、リホームした。よく、寝られるようである。
じいちゃんが逝って、3ヶ月。
ばあちゃんは「さみしい、さみしい。」と言っている。
ばあちゃん、以前はこんなこと言ってたのになあ。昨年の12月18日に書いたブログの下書きを読み返す。
以下、未発表ブログである。
『「のお〜、じいさんが死んだら、ゆっくり旅行したいのお〜。」
まあ、そうだね〜。
「正月🎍も、どっかに泊まりに行きゃあええの〜。」
今は無理だけどね〜。
「早う逝ってくれんと、ワシが遊ぶ時間がなくなるのぉ〜。」
確かにね・・・。
この1年、じいちゃんは外出を嫌がった。車椅子もあるのだが、移動用の酸素ボンベもあるのだが、外に出るのは「嫌だ」と言う。で、家族で外食することもなくなった。
今はとにかく苦しい・・・。
寝室からトイレまで1メートルもないのだが、歩くと息が切れ、顔面蒼白である。
そんなじいちゃんの世話を、ばあちゃんは甲斐甲斐しくしている。
でも、ばあちゃんもくたびれるのである。
元々、ばあちゃんはじいちゃんに何もさせない。女が男の世話を全てすべきだと信じ、そして全てやってきた。じいちゃんが布団に入る時には、布団をはぐってかけてあげるのである。
ヨメには到底できないな。ヨメは「自分のことは自分でする」方針である。
不思議なことに、ばあちゃんはじいちゃんの世話を焼いている時はボケない。人は何らかの使命感があると活性化する生き物のようである。
しかしながら、ばあちゃんも84歳。
じいちゃんのことを一切気にせず、旅行もしたい、外食もしたい夢を叶えるには、じいちゃんに粘られるのも複雑な思いがするそうである。』
(2020年12月18日記)
慣れ親しんだ日常に疲れてくることがある。現状に行き詰まりを感じたり、閉塞的な状況から抜け出したい・・・と考えることもある。
きっと、ばあちゃんもそうだったんだな。
今は、悲しみと迷いと不安の中にいる。
人間の感情って複雑だな。
きっと、精一杯、「今を生きる」だけだな。