人権擁護委員会総会のとき、偉い方がこんなお話をされました。
『NHKの朝ドラで「あんこを炊く時は、小豆の声を聞け。美味しゅうなあれ、美味しゅうなあれ。時計に頼るな。火から下ろすタイミングは小豆が教えてくれる。「美味しゅうなあれ」って言いながら炊いた小豆は美味しくなる。」って言っていましたね。
私の家は農家ですが、「稲は人の足音を聞いて育つ。」と言い伝えられています。どれだけ足しげく田に通い、手をかけたかで、できが違うと言われています。
では、「人は何で育つのか」と考えてみました。「人は人との交流で育つ」のだと思います。人間関係をつくることで成長するのだと思います。」・・・云々・・・。』
確かにね。
人間は「あんこ」や「稲」より、複雑である。感情の動物である。嬉しいこと、悲しいこと、心はいつも大波小波。人と人との間で揺れ動くのである。だって、色んな人がいるんだもの。
いっぱいケンカもしたし
いっぱい突き飛ばされた。
だけど、いっぱい突き飛ばしもしたな。
いっぱい嘘もついたし
いっぱい嘘に傷ついた。
いっぱい泣いたし
いっぱい笑った。
許せない人がいた。
でも、許そうと努力した。
助けてくれた人がいた。
恩返しもできぬまま。
お寺で坐禅をくんでみる。
心、穏やかになるも、それは1人の空間。
人間社会に戻ると、たちまち心乱れる。
ちっぽけな自分が嫌になったり
1人取り残されているような気にもなる。
自分の存在は何なのかと。
地球に生まれて落ちて半世紀以上。色々とあったが、ヨメは今のヨメがヨメ人生の中で1番好きだ。よく分からんが、この頃は、もがいている自分すら愛おしいのである。
「こんな自分は嫌だ!」って自分にムチ打つヨメであったのに。
成長したな。いや、年かな?
結局、ヨメの人生、今までに出逢った誰が欠けても今のヨメにはなっていないのだろう。
TVのチャンネルを譲らなかったじいちゃんも
共依存ならぬ強依存のばあちゃんも
空気を読まないツレも
バカ親にしてしまう子どもたちも
めっちゃ悩んだ生徒たちも
ヨメが苦手とする人たちも
意地悪な人ですら
誰が欠けてもダメなんだ・・・な。
・・・。
で、できれば、優しい人だけに出逢いたいわ。♫
・・・。そんなに人生甘くはないか。
自分が自分になる道のりを1日1日、歩いて行きましょうかね。どうせなら猛烈に楽しんで。💕