インドネシアで出逢った『彼女』。
『彼女』もまた、仕事で単身赴任。
ヨメは3年でその地を後にするが、『彼女』が日本に本帰国したのはインドネシア滞在13年を終えてである。夫は日本に、子どもは『彼女』と行動を共にした。
出世欲は・・・全くない。
自分の研究に邁進し、医療が十分ではない地において、そこに暮らす日本人の光となる。ヨメの右目ヘルペス発症による失明の危機を救ってくれたのも『彼女』であった。人生初の膀胱炎も。
そして今、『彼女』は四国で自給自足生活を夫と作り上げようとしている。そこが終の住処になるかどうかは分からないというが。
その彼女と先日会った。九州の実家からの帰途。手には大事そうに抱えた小さなバッグ。
「それ、なあに?」
烏骨鶏の卵であった。孵化させ育てるつもりらしい。親戚にもらったと。
秋には納豆作りを教わるらしい。なんとも『彼女』らしい。
いろいろな転機において、悩みはしたが、家族がいる環境下においても自分には無理だとは思わなかったそうだ。できる方法を見つける。
すごいな。
ヨメが「できる方法」を探すことに舵をきるようになったのは最近のことである。
できない理由を挙げては不満を募らし、ツレにあたっていたヨメである。環境はそう容易くは変えられない。だけど、自分の『在り方』は自分で変えられる。
その『在り方』によって人生が変わっていくのであれば、自分の歩みたい人生に向けてサッサと在り方を変えてみようと思っているヨメである。
人生の可能性に飛び込む