ヨメろぐ

嫁を通して見た小宇宙!同居人の介護のため、31年間続けた仕事を辞めてヨメはじめました。ちょっと笑える日々のことをイラスト付きで更新中✍

観光ガイドボランティア再開・猛勉強の巻

 

コロナが全国的に落ち着きを見せ、観光客がポツリポツリと戻ってきた。3ヶ月ぶりのガイドである。

忘れてる・・・。あれほど勉強したのに忘れている。元々、歴史は苦手である。ヨメの頭で時代を区分するならば、過去・現在・未来・・・である。もう一度、日本の歴史を時代分けしてみる。興味深いのであるが覚えられない。

f:id:samantha1962:20220617201447j:image

この町が好きなので、なんとか多くの人に紹介したいので頑張る。・・・ちょいと辛いな。介護からの逃亡かもしれないな。

蒲刈は周囲16キロ、人口1300人の小さな島ですが、江戸時代には、参勤交代の西国大名や、朝鮮通信使も立ち寄った歴史と伝統があります。今から31年前の平成3年に、「島全体が庭園」をテーマに「ガーデンアイランド構想」の一環として、「松濤園」などの文化施設等が整備されました。

f:id:samantha1962:20220619171624j:image

松濤園の中には、4つの施設があります。古伊万里を中心に全て鑑定済みの陶器や磁器が展示されている「陶磁器館」(2,3ヶ月ごとに展示入れ替え)、江戸時代の朝鮮との国交が一目で分かる朝鮮通信使資料館」「あかりの館」(下関の商家を移築した中に、世界中のランプを展示)、「番所(復元)」です。

f:id:samantha1962:20220619202100j:image陶磁器館 古伊万里f:id:samantha1962:20220619201750j:image観潮楼からの景色

f:id:samantha1962:20220619203417j:image本州と下蒲刈をつなぐ安芸灘大橋

そういえば、映画「ドライブ・マイ・カー」の舞台にもなっていたな。

f:id:samantha1962:20220619203958j:image

江戸時代、船にエンジンがなく、風まかせ、潮まかせの航海であった頃、海が深く、潮の満ち引きで船が出入りしやすい,風に影響を受けにくい、ということで、海の関所である海駅に指定され、海上交通の要衝として栄えていった。広島藩福島正則が船着場として長雁木を設け、そこから朝鮮通信師団は上陸したのである。使節団の衣服が汚れてはならぬと、道にレッドカーペットを敷き、レッドカーペット同様、使用する布団もオランダ製であった。使節団400〜500人、警護諸々にあたる日本人を合わせると2,000人もの大船団であったという。この小さな島が沈まんばかりの大行列であったのだ。

f:id:samantha1962:20220619210649j:image使節団の船1/10の模型

f:id:samantha1962:20220619205933j:imageレッドカーペット

f:id:samantha1962:20220619210819j:imageもてなされた料理

すごいな。今から約400年前のことである。当時の人々に思いを馳せる。

 

皆さまも、是非一度訪れてみてください。

f:id:samantha1962:20220619211520j:image

 

眠い・・・明日の朝、起きて勉強することにいたしまする。おやすみなさいませ。