コロナが全国的に落ち着きを見せ、観光客がポツリポツリと戻ってきた。3ヶ月ぶりのガイドである。
忘れてる・・・。あれほど勉強したのに忘れている。元々、歴史は苦手である。ヨメの頭で時代を区分するならば、過去・現在・未来・・・である。もう一度、日本の歴史を時代分けしてみる。興味深いのであるが覚えられない。
この町が好きなので、なんとか多くの人に紹介したいので頑張る。・・・ちょいと辛いな。介護からの逃亡かもしれないな。
下蒲刈は周囲16キロ、人口1300人の小さな島ですが、江戸時代には、参勤交代の西国大名や、朝鮮通信使も立ち寄った歴史と伝統があります。今から31年前の平成3年に、「島全体が庭園」をテーマに「ガーデンアイランド構想」の一環として、「松濤園」などの文化施設等が整備されました。
松濤園の中には、4つの施設があります。古伊万里を中心に全て鑑定済みの陶器や磁器が展示されている「陶磁器館」(2,3ヶ月ごとに展示入れ替え)、江戸時代の朝鮮との国交が一目で分かる「朝鮮通信使資料館」、「あかりの館」(下関の商家を移築した中に、世界中のランプを展示)、「御番所(復元)」です。
陶磁器館 古伊万里観潮楼からの景色
そういえば、映画「ドライブ・マイ・カー」の舞台にもなっていたな。
江戸時代、船にエンジンがなく、風まかせ、潮まかせの航海であった頃、海が深く、潮の満ち引きで船が出入りしやすい,風に影響を受けにくい、ということで、海の関所である海駅に指定され、海上交通の要衝として栄えていった。広島藩主福島正則が船着場として長雁木を設け、そこから朝鮮通信師団は上陸したのである。使節団の衣服が汚れてはならぬと、道にレッドカーペットを敷き、レッドカーペット同様、使用する布団もオランダ製であった。使節団400〜500人、警護諸々にあたる日本人を合わせると2,000人もの大船団であったという。この小さな島が沈まんばかりの大行列であったのだ。
使節団の船1/10の模型
レッドカーペット
もてなされた料理
すごいな。今から約400年前のことである。当時の人々に思いを馳せる。
皆さまも、是非一度訪れてみてください。
眠い・・・明日の朝、起きて勉強することにいたしまする。おやすみなさいませ。