緊急搬送先の病院で、駆けつけたヨメと姉に母が言う。
「もうあなた達も、無理せず、ゆっくりとやっていっていいんじゃない。がむしゃらに頑張っても、どうにもならないこともあるの。だからね、ゆっくりやりなさい。そしてお迎えが来たら、後の人に迷惑をかけることもあるかもしれないけど、どうしようもできないから、「はい、そこまで。」って人生を閉じるの。なーんてことはないのよ。だから、ゆっくりやりなさい。」
90年生きてきた母が言う。
その言葉にひと時浸る。母は強いな。昔から強かったのか?それとも強くなったのか。ヨメが母を認識した時はすでに強かった。父が60歳で亡くなって、たった一度だけ愚痴を聞いたことがある。「北海道へ一緒に行こうって言ってたのに。ツアーで行くとね、皆んな夫婦連れで、私は1人で寂しかったわ。働くだけ働いて、父さんもバカよね〜。」
ヨメが知らない母の人生がある。何だか切なくなってきた。
・・・。
沈黙をやぶって母が言う。「あら!あの人、前に会ったことがあるわ。」
・・・?
そんなはずはない。初めての病院で、母の指差す方向には若い研修医である。
ボケとんか〜い!
いや、母の記憶の中には似た人がいたのであろう。過去と現在を行ったり来たりしながら生きている。
「私がボケてると思ってるでしょ。でもね、私の中では現実なの。」
そうだね、母さん。パラレルワールドか。母は今、どんな世界に生きているのかしら。お花畑で遊んでいるような気分でいてほしい、と願うヨメである。ヨメもゆっくりと人生を味わいましょう。そして時が来たら潔く幕を下ろすといたしましょう。
神様からもらった母との時間。そっと心にしまいます。 母は油絵を描いていた。もう筆は持てないが。
善照寺和尚さんのことば