ヨメろぐ

嫁を通して見た小宇宙!同居人の介護のため、31年間続けた仕事を辞めてヨメはじめました。ちょっと笑える日々のことをイラスト付きで更新中✍

ヨメの母のお話その1

 

 母がコロナ後の肺炎で病院へ緊急搬送された。意識も混濁しているとのこと。ばあちゃんも不調で直ぐには駆けつけられない。頃合いを見計らって、母の元へ急ぐ。

 施設から外に出ていないのにコロナって⁉️

   面会も3年間禁止なのにコロナって⁉️

しかし、職員を責めるわけにはいかないな。これも運命なのであろう。

 ベッドに横たわった母はやせ細り、スカイプ面会で会う母と違っていた。入れ歯をはずしているから余計に年老いて見える。

母、5月19日で91才になる。

「母さん、母さん。」

うっすらと目を開けた母の顔つきが、変わった!自分の子どもを認識したのである。「ああ、やっと会えたわね。会えた。会えた。かわいい、かわいい。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん。ちょっと父さん(母の夫)は、早く逝きすぎたわね。あなたたち。ありがとう、ありがとう。こうなるのは世の理。悲しむこともないわよ。わたしはしあわせだわ。みんなによくしてもらってしあわせよ。あなたたちがいるからしあわせだわ。」

え❓

姉とヨメは安堵のあまり涙があふれる。「しあわせ」と言ってくれるのか?

 母は結婚式の時に初めて父と会い、義父母、義兄弟と同居で、けっして豊かではないところで頑張った。一生懸命働いて、働いて、父が60才で逝ったあとも、私たちに肩身の狭い思いをさせてはならないと一人奮闘していた。姉夫婦と同居が始まったころは、親子であるがゆえに言いすぎ、葛藤の毎日。そして車いすになり、施設に入って小さな部屋で日々を過ごす。食べたいものも自由に食べられず、認知症の人が多い中で、どうやって時を過ごしていたのだろうか。そんな母から「しあわせ」ということば。ありがたい。

 母は強い。強すぎる。であるがゆえに、同居を選んだ姉は苦しんだ。「母にいわれたこと、されたことは一生許せない。」病院へ向かう車中で姉は言っていた。その姉が「母さん、ありがとう。よく頑張ったね。」

 なんということか!姉の心の氷が溶けた。たった10分間の面会時間であったが、なんとも奇跡的な、しあわせな時間であった。9月にひ孫が増えることを聞いた母、「もうちょっとだけ頑張ってみるわ。」

6人目のひ孫・・・会えるであろうか?

 帰り道、「会えてよかったし、ありがとうが言えてすっきりした。」と、姉が言う。よかった、本当によかった。恨み続けるのは辛すぎる。

 母さん、ありがとう。残されている時間は分からないけど、母さんにたくさんの「ありがとう」を伝えよう。

   「最期に巻き寿司が食べたいわね。」

    ・・・、そうなのね。

入れ歯のないふにゃふにゃの口で、むしゃむしゃたべる真似をする。そういえば、父は「おはぎ」って言ってたな。両親そろって(笑)。

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まだまだ母は大丈夫かも。