母が入院して7日目。
「母さん、来たよ。」と、ヨメが呼びかけるも起きない。体を揺するも起きない。聞こえるのは寝息だけ。入院した直後に、姉とヨメと3人で話せたあの時間は本当に奇跡であったのか❗️
今日も母は眠っている。居合わせた看護師さんに聞くと、「今日のお昼は座って流動食を半分ほど食べたんですが、目はつむったままなんです。リハビリの時は少し目を開けたそうですが何もしゃべりません。起こしたほうがいいから大きな声で呼んでやってください。」
「母さん、起きて!来たよ。今日はG7でね、交通規制があるから電車で来たよ。」
「ふにゃふにゃふにゃ・・・。」
なに?
「ありがとう〜・・・」
おっ!しゃべった。目は開かないが聞こえているようだ。「苦しくない?」
「・・・。」
母の足首、手首、指をゆっくりと回す。足裏は特に重要である。ゆっくりと押してさする。母は「ふんが、ふんが・・・」言っている。
眠っているうちに、このまま逝ければ母も楽かもしれないな、と思いながらガリガリの母の背中をさする。小さくなったな。仮に回復したとしても、母は施設に戻る。そして誰とも会えない、自由に外出できない日々が始まるだけである。それでも生きた方がいいのか?
ヨメにとっては「母がいる」というのは心強いことではある。いつもヨメの背中を押してくれたのは母であった。
「子どもを置いてくる覚悟があるなら実家に帰ってきなさい。」
「じきに子どもはあなたが母親だとわかるから、とられたって泣く必要はないわ。」
「この先、何があるか分からないんだから、働きなさい。」
「やってみないと分からないわ。あきらめる前に、やってみなさい。」
「この世で起きたことはこの世でどうにかなるわよ。」
「子どもが望むなら大学までは親の務めとして援助してやりなさい。そこから先は子ども次第ね。自分でなんとかしてもらわないと。」
「義父母に優しくしてあげてね。年寄りって頑固で手に負えないって思うだろうけど、それでも一生懸命に生きてきたのだから。」
「インドネシアで働くの?面白いこと考えたわね。」
「早期退職?それもいいわね。そろそろ肩の力抜いて生きたっていいんじゃない?」
「私のことで泣かなくてもいいわ。幸せだったんだから。」
母のことばが頭の中をぐるぐると巡る。ヨメはいつだって子どもである。自分の子どもたちに母のような言葉はかける自信はない。
母は少しずつ孤独にも慣れ、死と向き合ってきたような気がする。姉との相談で、延命治療はしない。点滴も延命治療か?栄養を取っているから死ぬに死ねないのかしら?
ヨメもその時に向けて一筆書いておかねばならないな。
生きるのも大変であるが、死ぬのも大変である。
今日の瀬戸内海は穏やかです