ヨメろぐ

嫁を通して見た小宇宙!同居人の介護のため、31年間続けた仕事を辞めてヨメはじめました。ちょっと笑える日々のことをイラスト付きで更新中✍

ヨメの母のお話その2

 

母が入院して7日目。

「母さん、来たよ。」と、ヨメが呼びかけるも起きない。体を揺するも起きない。聞こえるのは寝息だけ。入院した直後に、姉とヨメと3人で話せたあの時間は本当に奇跡であったのか❗️

今日も母は眠っている。居合わせた看護師さんに聞くと、「今日のお昼は座って流動食を半分ほど食べたんですが、目はつむったままなんです。リハビリの時は少し目を開けたそうですが何もしゃべりません。起こしたほうがいいから大きな声で呼んでやってください。」

「母さん、起きて!来たよ。今日はG7でね、交通規制があるから電車で来たよ。」

「ふにゃふにゃふにゃ・・・。」

なに?

「ありがとう〜・・・」

おっ!しゃべった。目は開かないが聞こえているようだ。「苦しくない?」

「・・・。」

母の足首、手首、指をゆっくりと回す。足裏は特に重要である。ゆっくりと押してさする。母は「ふんが、ふんが・・・」言っている。

眠っているうちに、このまま逝ければ母も楽かもしれないな、と思いながらガリガリの母の背中をさする。小さくなったな。仮に回復したとしても、母は施設に戻る。そして誰とも会えない、自由に外出できない日々が始まるだけである。それでも生きた方がいいのか?

ヨメにとっては「母がいる」というのは心強いことではある。いつもヨメの背中を押してくれたのは母であった。

「子どもを置いてくる覚悟があるなら実家に帰ってきなさい。」

「じきに子どもはあなたが母親だとわかるから、とられたって泣く必要はないわ。」

「この先、何があるか分からないんだから、働きなさい。」

「やってみないと分からないわ。あきらめる前に、やってみなさい。」

「この世で起きたことはこの世でどうにかなるわよ。」

「子どもが望むなら大学までは親の務めとして援助してやりなさい。そこから先は子ども次第ね。自分でなんとかしてもらわないと。」

「義父母に優しくしてあげてね。年寄りって頑固で手に負えないって思うだろうけど、それでも一生懸命に生きてきたのだから。」

インドネシアで働くの?面白いこと考えたわね。」

「早期退職?それもいいわね。そろそろ肩の力抜いて生きたっていいんじゃない?」

「私のことで泣かなくてもいいわ。幸せだったんだから。」

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母のことばが頭の中をぐるぐると巡る。ヨメはいつだって子どもである。自分の子どもたちに母のような言葉はかける自信はない。

母は少しずつ孤独にも慣れ、死と向き合ってきたような気がする。姉との相談で、延命治療はしない。点滴も延命治療か?栄養を取っているから死ぬに死ねないのかしら?

ヨメもその時に向けて一筆書いておかねばならないな。

生きるのも大変であるが、死ぬのも大変である。

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今日の瀬戸内海は穏やかです