「やっぱり、あんたに最期まで見てほしいのお〜。施設には入りとおないの〜。何も言わずに寝とるけえ、看てくれんかの〜。」
だからー、自分で歩けなくなったら無理だって!って言ってるでしょう。それって、人の人生を奪うことにもなるんだよ。自分のことばかり考えないで!
ばあちゃんの言葉に反応して、イライラ。そんなことを思う自分にもイライラ。ああ、1人の時間が欲しい。自由になりたい・・・。
って、2日前のヨメなら思ってた。
今日は少し違う。
自分の「心」を実験中。
『反応しない練習』草薙龍瞬(くさなぎ・りゅうしゅん)著のブッダの超・合理的な「考え方」と出会った。
1人で悟りを拓くのは今のヨメには荷が重い。いつも右往左往しているヨメである。😅
先人の知恵と筆者の導きに「心」を預けてみようかしら。
反応せずに、理解することに徹する話。
相手との反応の応酬をしなーい。ヨメはとかくきに応酬をしがちである。
この時の問題は、もはや「相手に負けないこと」や、「我を通すこと」ではなく、反応することで確実に「自分の心を失う」ことなのだそうだ。
「つい反応してしまう」状況にあってこそ、あえて大きく深呼吸、覚悟を決めて、ただただ相手を「理解する」ことに努める。
早速、その状況がやってきた〜。
「ふ〜ん、そう思ってるの。」
「施設に入りたくないんだね。」
「子どもの頃から寂しがり屋だったんだね。」
「親が漁師で帰るのをじっと待ってたんだね。」
「大変だったね。」
ばあちゃんのバックグラウンドが少し見えてきた。ばあちゃんが自己中心的なのか、ヨメがそうなのか、判断しない。
しなくていい判断は、
しないほうがいい。
そうだ・・・。
少しすると、ばあちゃん、
「迷惑かけんよーに頑張ってみるけえの。アンタも無理せんと、ワシがダメになったら(施設)入れてもええけえの。」
あっれ〜。
変わった?
「あっ!やっぱり入れんとって〜の。」
だよね〜。
でも、ヨメの心は楽だった。
引きずることなく平和な1日であったな。
自分の判断に執着せず、囚われず、心の平穏を保つのだ〜。
明日はどうなるか分からないが、
今はそう思う。
これでいいのだ〜。
夕陽に照らされた山。
きれいでした。