ヨメは人からよく「いい人」と言われる。
ヨメは知っている。ヨメは「いい人に見られたい人」なのだ、きっと。
「いい人に見られたい」と思って行動をしたつもりはないが、「人とはこうあるべきでしょ。」という決まりごとがヨメの中にあるのを感じる。
家族だから介護すべきでしょ。
困っている人がいたら助けるべきでしょ。
聞かれたら答えるべきでしょ。
頼まれたら引き受けるべきでしょ。
義父母のことを考えたら外出は自粛すべきでしょ。
今はやりたいことがあっても、先ずは家族のために我慢するべきでしょ。
周りの人のことを考えるべきでしょ。
自分のことは後回しにすべきでしょ。
楽しめるのならばそれでよいかもしれないが、ヨメの心は定期的に重くなる。
「自分自身のこと」を無視しすぎてはいないか?
自分をneglect.
ヨメの中の「ワタシ」が叫ぶ。
「ワタシ」のことをもっとちゃんと見てよ
ほったらかすなー!
で、ヨメの中の「ワタシ」がはぶてて、気持ちがドッヨーンと重くなる。
自己犠牲・・・ってなんだか・・・。
自己犠牲の上に成り立つ「優しさ」は、他の人にも犠牲を強いる。「優しさ」ではなく「重苦しさ」である。
・・・と、感じる。
例えばツレ・・・。
「ヨメはいつも家に居て、きみの両親を看てるんだからさ、ツレもお休みは家にいて手伝いなさいよ〜。」
頑張っているヨメの本心を翻訳すると、
『ヨメは自分を犠牲にして世話をしてるんだからさ、ツレも何もすることがなくても家にいて少しは自分を犠牲にしなさいよ〜。』
ツレだけが自由だなんて許さないオーラ。
犠牲を強いてみんなでどっよーん。
ひょえ〜、こわ〜。
我ながら怖すぎる。
でも、これってありがちじゃね。
ツレが言う。
「好きなことをしていいんだよ。外出した間に親が亡くなっても誰も文句は言わないよ。」
そうなんだよ。分かってんだよ。
でも、心に、頭に、ブレーキがかかるんだよ。
『自分を犠牲にして他が為に』の呪文。
葛藤・・・。
えええーい‼️
やーめた、やめた‼️
やめちゃお〜❗️
今日のお休みはツレと2人でドライブしよう。
じいちゃん、ばあちゃんはお家で2人仲良くね〜。
ヨメの中の「ワタシ」が喜んでるわ♫